世界は丸い

あることないこと言います。

医師はscientistかhumanistか

僕は今回99%の人が「何言ってんだこいつ」と思っても1%の人に響けばいいと思い気の赴くまま記事を書くことにしました。なのでかなり極端な話やぶっ飛んだ思想(自分でも自負している)を投げることがあるがそれを許容していただけると嬉しい限りです。

 

1.僕が医師を目指した理由

「お前のことなんぞどうでもいい」と言う方は読み飛ばしていただいても結構ですが、“こういうキャラクターの人がこういうことを考える(考えちゃうんだな)”ということを伝えるために書いておきます。

 

僕が医師を目指した理由は端的に言うと「人間が嫌いだから」です。僕はあるテレビ番組でSturge-Weber症候群という疾患の子をもつ母親のインタビューを見ました。Sturge-Weber症候群の症状の一つに顔面に出現する赤いあざがあります。それを知らない通りすがりの人にいきなり「あなたは母親失格だ。なぜなら我が子にこんな目立つ火傷を負わせたのだから。」と言われ悲しかったと告げる母親の話を聞きました。僕はこのとき「人間は愚かだな。」と思ってしまいました。というのも、自分が今まで蓄えてきた常識だけで物事を判断して他者を傷つけることがあるからです。

 

ここで皆さんにクイズを出します。

場面:「スーパーで母親が子どもを泣かせている。子どもは駄々をこねている。」

皆さんはどう感じ、なぜこんなことになっているのだと思いますか?

 

 

 

 

(答えは下にあります)

 

 

 

 

答え:「試食コーナーで美味しそうな食べ物があり子どもはそれを食べたかったが、母親は子どもがその食べ物に含まれる食物アレルギーを知っていたため子どもには食べさせられなかった。結果、子どもは食べられないことに腹を立て泣いた。」

 

皆さんは分かったでしょうか?おそらくですが、分からないと思います。先入観だけで「母親がケチで子どもが欲しがってるお菓子を買ってあげなかったんじゃないか」とか、理由すら考えず「うるさいねん。泣き止めよ。」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。

 

とにかく母親に「あのー、なんでお子さん泣いてるんですか?」と聞かない限りこの答えは闇の中です。

 

僕が思うのは医療面接(問診)の中にはいわゆる「水平思考」という要素が含まれているということです。水平思考って何だ?という方は「ウミガメのスープ」という言葉で聞いたことがあるかもしれません。水平思考の代表的問題であるウミガメのスープは、

 

問題「レストランでウミガメのスープを飲んだ男が命を絶ってしまいました。なぜ?」

答え「レストランで飲んだウミガメのスープが、漂着した島で遭難したときに仲間に飲まされたウミガメのスープの味と違っていた。そこで男は遭難したときに飲んだスープの材料がウミガメではなく、力尽きて死んだ仲間でできたものだと知り絶望して命を絶った。」

 

というものです。詳しくはネットで調べてみれば多数ヒットすると思いますが、要は「傍観者では先入観や決めつけだけで相手を不当に評価してしまうおそれがある。」という暴力性を伝えたくてこのようなことを書いています。

 

またこの亜系ですが、

AさんがBさんとケンカした話を、AさんがCさんに話したとします。これって十中八九Aさんの都合のいいようにCさんに話が伝わりますよね?「私は悪くない!Bが悪いよね、そう思わない?」ってAさんが力説する訳ですから。なので僕がCさんの立場だった場合、Aさんの話はBさんとの公平性を保つために話半分で聞くようにしています。

 

1.からすでに話が長くなりましたが、まとめると僕の医師を目指した理由は「(先入観や自分が絶対正しいと思っている)人間が(第三者視点では正しいこととは限らないのにそれを押し付けてくるのが)嫌いだから」それをぶっ壊したくて医師を目指したということになります。

 

「主張激しいな😅」と感じるかもしれませんが、めっちゃ典型的な例を挙げると理解できると思います。それは、、、

 

上司に鬱であることを告げたら「はあ?鬱?そんなの気の持ちようだろ」と言い返された

 

ですね。これは「鬱は心の弱さだ」と思い込んでいる(自分の中ではそれが常識)から辿り着く考え方です。鬱病は確立された一つの精神の疾患です。

 

 

2.総合診療科と将来の展望について

僕は今のところ総合診療科という科に興味を持っています。総合診療科と一口に言っても、救急救命の要素や病棟診療医の要素、在宅医療の要素など複数のものが絡み合ってできています。ドクターGという番組のように理論的にアプローチしてズバッと正しい病名診断ができる医師や、抗菌薬や血圧降下薬を適切に使用できる医師もとても憧れますし、僕もむしろそちら(science、科学的に根拠をもって行うこと)に学問的興味がそそられます。

 

しかし、昨今の時代の移り変わりは明らかにAIによる力が激しいのです。Chat GPTは論文をすぐ違和感のない英語に翻訳してくれますし、AI診断によって症状を打ち込めば「もしかしてあなたはこの病気ではないですか?」と教えてくれます。

我流で英語を磨くよりむしろこちらの方が正確だから楽でいいわ〜と言う人がいてもおかしくないレベルです。scienceの方面でAIが人に勝つのも時間の問題です(すでに勝っている分野もある)。

 

ではどうAIと共存していくかと言うと結局は人間性の闘いになると思います。これが1.と繋がってくることになります。私が総合診療科に魅せられた理由は人間の全体をみることが本質にあるからです。

 

例えば、「腰が痛くて病院に来ました。」という患者がいたとしましょう。果たしてこの患者さんは腰の痛みを取ってほしくて病院に来たのでしょうか?「は?腰痛くて病院来たんだから腰の痛み取ってほしくて来たに決まってんだろ!」と思う方もいるかもしれませんが、またこれも「水平思考」と同じなんですね。

 

●パターン1:「いてえから痛みゼロにしてくれ。」

以外にも、

 

●パターン2:「今のままじゃバスケのプレー中に痛みで集中できないからもうちょい痛みを和らげてくれ。」

 

●パターン3:「痛みは正直10段階中の2だし全然我慢できるんだよね。でもテレビで膵癌の人が腰痛いって言ってて不安になって来たよ。」

 

、、、といったパターンもあるわけです。この1~3の患者さんの言い分を全部同等に扱っていいかと言われたら違いますよね。

 

また、さらに「実は旦那が最近浮気してて私のことを見てくれないんです。」と訴える痛みの改善が乏しい患者さんがいたら、、、どうなるんでしょう。浮気が痛みを修飾する原因となっているのでしょうか?

 

たかが一人の医師が他者のプライベートにどこまで立ち入っていいのかは考えなくてはいけませんが、AIは(少なくとも今のところは)事実や根拠を元にできており、人を人たらしめる領域にまでは達していません。僕はこのような「医療とは何か?」と言わんばかりの半ば哲学に近いhumanityの領域に魅力を感じているのです。

 

 

3.これからどうしよう💦

これにはまず大きく二つの道があります。

 

①特定の分野を極めることに喜びを感じる人生を送る

 

 

②「人って難しい!」と沼にハマっていくことに興味を抱く人生を送る

 

 

です。今までの話を見てくれた方には分かる通り僕は②の道に非常に魅力を感じています。医学は科学である、これは間違いのないことですが将来AIがかなりの面積を食っていきます。○○という疾患があったとしてその治療薬を脳内で覚えていたとしてもガイドラインや論文のチラ見を一切せずに(科学的には)100%それが正しいと言えますか?「いや、99%自信あるけど一応合ってるか確認したいな...」と思ったなら、もうそれは予めAIが調べて答え出してくれたものを見たのと変わらない時代が来るかもしれません

(もちろん「自分の求めている論文を探し当てる能力」は培われますし、今はAIが正確な領域に達するまでの転換点に立っている世代なので言い切れはしませんが)。

 

scienceも大事ですがhumanityにもフォーカスを当て「人」と向き合う、そういうことに興味がある方が増えると嬉しいです🙏